エンゼシアの架空鉄道

構想うらばなし

このページは、架空鉄道を「作る側」の視点に立ってあれこれ語っていく場所です。作者の主観が入ってくるのはちょっと…と思われる方は他のページをご覧になることをオススメします。

HP公開までのいろいろ

 当架鉄は構想開始からHP公開までに約7年をかけています。その7年の間に何があったのかお話ししたいと思います。

架空鉄道との出会い

 作者は未だ若輩者です。初めて架空鉄道というもの(いわゆるWeb架鉄ですね)を目にしたとき、私はそれをゲーム機のブラウザから見ていました。そのゲーム機は名をNintendoDSiと言い、任天堂の携帯ゲーム機で初めてカメラとインターネットブラウザを内蔵したマシンでした。今でこそ中古品が2000円程度で投げ売りされていますが、当時の私にとってDSiは目新しくて使い倒しがいのあるおもちゃでした。
 そのゲーム機で私は様々な架鉄サイトを巡りました。(初めて見た架鉄は残念ながらプロバイダのサービス終了に伴いアクセスできなくなってしまいました)「鉄道マニアの中にはこんなことをしてる人もいるのか」と衝撃を受けました。
 そのときこう思いました。「自分も作ってみたい!」

うごメモで育った横沢電鉄

 架鉄妄想のお供はノートとペン、というのがよくあるスタイルのようですが、私が妄想のお供に選んだのは「うごくメモ帳」でした。もちろんノートも使っていましたがメインはこちらでした。
 うごくメモ帳とはNintendoDSiに最初から入っているソフトのことで、タッチペンを使ってお手軽にパラパラアニメが作れるということで人気になりました。普通のメモとして使うのにも有用で何かとデキるソフトでした。
 架鉄製作の場所が本格的にPCに移行するまでの数年間、DSiでの作業が続くことになります。
 ※うごくメモ帳には自分が描いた作品をオンライン上に投稿できる機能があり、うごメモ独自の架鉄コミュニティが形成されていました。私は投稿していませんでしたが、他の方の作品をたまに見にいくことがあり大いに影響を受けました。(こちらも残念ながらDSi版のオンラインサービスが終了したため見れなくなってしまいました)
横沢電鉄ロゴ
▲うごくメモ帳に残る「横沢電気鉄道」の文字

相模湾の奥底に巨大空間…これってアリ?

 私が架鉄を敷く舞台として選んだのは、現実に存在しない架空の土地でした。ただし実在の場所と接点を持つという特殊な設定付きです。しかも地下にある巨大空間です。
 そんなもの、現実に存在しないですから勝手が分かりません。当初の設定は迷走していました。地上から人がやってくる前から人が住んでいたとか、地上と地下を結ぶトンネルを1年足らずで作ったとか(汗)。今でも地下空間という自分自身が作った設定に振り回されることがありますが、現実に存在しないことを空想するのは楽しいものなのでこの設定にして良かったと思っています。

それから

 架鉄趣味を続けることで思わぬ技術が身につきました。HTMLを書けるようになったり、ベクター画像を編集するソフトを使えるようになったり、3Dモデルを作れるようになったり。7年前の自分には全く想像できなかったことです。
 そして2019年、Wordpressのテーマを自作してサイト公開にまで漕ぎ着けました。
 ここまで様々な分野に手を伸ばすことができたのは、私の中に架空鉄道のコンテンツを作りたいという目的があったからでもありますが、何より先人の皆様がインターネット上に記録を残してくださったおかげだと思っています。
 何かに行き詰った時や新しく何かをやり始めたいときには、いつもインターネットにある記録を参考にしてきました。先人の皆様の努力に感謝しつつ、これからも色んなこと、いろいろとやっていきたいと思います。

画像いろいろ

横沢電鉄1000形の変遷

1000形の変遷
▲原案(左)・確定版(中)・inkscapeリメイク版(右)

横沢電鉄5000形の変遷

5000形の変遷
▲E231・E233系を参考に描かれた構想最初期の最新型車両案(上)・209系風になった原案(左下)・205系の薫りがする確定版(中下)・inkscapeリメイク版(右下)

横沢電鉄特急車の変遷

横沢特急車の変遷
▲4種類の原案(左)・3000形と7000形の案が固まってきた頃(中)・3000形7000形確定版(右)